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2018年6月14日 (木)

2018年6月12日「Lost Memory Theatre」上映会 感想 - 観劇記録用

「Lost Memory Theatre」という、三宅純さんのアルバムから着想を得た白井晃さん演出の舞台があり、その上映会に行ってきました。ミュージカルでも音楽劇でもないような。まず音楽から作られる舞台というのが、生まれて初めての体験でした。

トークショーがありました。間違っているところがあったらごめんなさい。

三宅さんは映像やほかのことではできないことを音楽で表現していらっしゃるというお話、すごくおもしろかったです。これはおっしゃってなかったことですが、だからその音楽を舞台化するというのは一種矛盾も含むのではないかみたいな。でもそれでこんなに素敵な舞台が生まれるのは、すごく不思議だし間違いなくもともと持つ音楽の力も大きいのではないかと思いました。

舞台の楽屋のように、小さな電球が鏡をかこむ鏡台とその前に座るバレリーナたちが舞台をかこみ、舞台のなかにプレセニアアーチがあるという印象的なセットのなかに登場人物たちが現れます。

そこは記憶が集まる場所で、迷い込む人間を山本耕史さん、記憶や風景を再生してしまう謎の人物を江波杏子さんが演じてらっしゃいました。美波さん、森山開次さん、白井晃さんも出演なさっています。

はっきりとした起承転結はありません。あるのかどうかわかりません。舞台は記憶や風景を再生する劇場で、物語は関連性がある単語でつながっているような気がしますがひょっとしたら別のできごとかもしれないとも感じました。
白井さんが空白を埋めるのではなく、観客の考える余地を残した舞台というようなことをおっしゃっていて、だからこちらはわからないとか言わずに自分の感じたことを大事にしようと思いました。観劇をしているとわからないと思うことも正直よくあるのですが、そんなこと言わずこれからも感じたことを大事にしたいと思います。

音楽が美しく、陶酔感があります。音楽のもたらしてくれる快感にはいろいろあると思います。高揚感をもたらしてくれるもの、哀切で心にしみるもの、トランス状態にもっていかれるもの、さまざまです。そのどれにもあまりあてはまらないような。
メロディは起伏があってドラマチックなのに陶酔感を感じます。でもひっかかりが多くてトランス状態になる寸前で頭のどこかを覚醒させてくれるような。英語を必死で聞き取ろうとしていたせいかもしれません。そしてフランス語ポルトガル語、お手上げです。もう何を言ってるのかぜんぜんわかりません。言葉は失われたのではなく、そこにあるのにわからなくて、でも確かにそこに伝えたい意図があって、この舞台のようだと思いました。空虚なのではなく何かが確実にあるのはわかるけど、それを「こう」と規定してしまうことができません。
傲慢なことを言います。そこにあるものをわざと難しくして価値を高めようとしてるのではなく、伝えようとしてくれているのを感じます。バレリーナのダンスがまるで手話のように見えました。
何かを訴えかけてきます。

ブログとかやっちゃうくらいわりと感動をああでもないこうでもないと言葉で規定してしまいたいタイプの人間ですが、話し合い言葉にした時点で気づくこともあると同時に、言葉という枠にはめたことでとりこぼされてしまう感動があります。もっと豊かだったのに、もっと深かったのに言葉にすると今までで見たこと聞いたことのあるものの枠のなかにむりやり収めてしまいます。言葉というのは今まで誰かが体験したものしかないし、新しいものを表現したいときは新しい言葉を作らないとできないのでは。すぱかりふらじりすてぃっくえくすぴありどーしゃす!
感想を述べることはとてもはがゆいのですが、同時にそれでもしないではいられません。舞台という失われてしまうし失われるからこそ美しい芸術を、自分のなかに少しでもとどめたい抵抗なのかなと思います。

舞台に戻りますが、記憶は誰の物なのかわかりません。記憶が共有されているのか再現されているのか、その人がどういう人なのかまったくわかりません。こういう女性だと思っていたら中から別の女性があらわれたり、それは別の人の記憶だったりします。女性と言いましたが記憶が混じりあい、男性と女性の別もほぼありません。
劇場自体が記憶の海になってそこにみんなで温泉みたいに浸かっていると、今度は頭上に風景が展開してきてきて人間の記憶以上のなにかを提示してきたり、あるいは人間の心の中なのかなと思ったり。記憶って失われるものだし、それでも記憶そのものではなく心が、感情の芯が人間には残りその人を形作るのかなと感じました。大事なのは記憶ではなく風景なのでは。人間の本質はそっちなのでは。でも記憶も大事にとどめたいです。記憶に執着してしまう人間も描かれていました。

2014年にこんなすてきな舞台があったことを、残念なことに全く存じ上げませんでした。でも映像の形でこうしてそれに触れることができるのが、とても不思議な感覚でした。映像化はいくつも見たことがありますが、こちらの舞台はなぜかひときわ映像が残っていて、それを2018年の今みていることに不思議さを感じました。ありえない体験をしている感覚がありました。

後から思いがけずすてきな映像化を見せていただいて、とても嬉しかったです。舞台の映像化について、私はわりとほしいと思うことが多いです。でもこんなに素晴らしい体験をさせていただいたのにもかかわらず、舞台のために映像化することがかならずしもいいことなのかといえば、それは疑問に思います。

映画館という隔離された場所で大きなスクリーンでみることができるのは幸運なことです。しかしそうではなく、舞台での感動と手の中におさまる映像で見た場合の感動が、冗談ではなく1/10、1/100であることが多いからです。初見は人生で一度しかないのに、それを1/10ですませてしまうことのあじけなさ、舞台を好きな方なら、わりとだれしも同意してくださるのではないでしょうか。

また、失礼な話ですが手軽に映像で見てしまって、わざわざ高い料金を払って時間をあけて舞台へ足を運ぶ必要はないと判断することも自分はままあります。その映像に芯から心動かされなかった場合でもありましょうが、しかし、映像は舞台の1/10です。例外ももちろんありますがそういうことが多いです。
もし舞台で、実際にその場の空気を共有し、照明の光を客席で浴び、息遣いを感じていたら違ったかもしれません。それなのにこんなものかと映像で済ませてしまう習慣がついたら、ものすごく舞台の楽しみがそがれてしまうと感じます。

ある舞台について、大好きなので予約してDVDを購入しました。それがあまりにつまらなくてびっくりしました。音楽の力は変わりません。役者さんも変わらない演技をなさっています。それでも舞台が映像化するとこうなるのかと衝撃をうけました。生でみてくださいとしかいいようがありません。

映像化が舞台の障害になるのはいやだなと観客のひとりとして思います。やはり舞台に足をはこぶのはむずかしく、映像はあまりに手軽で便利です。
そのうえ、生の舞台にしかないものがものすごくたくさんあります。映像化が逆に演劇好きな人の数を減らさないとは言い切れないと感じてしまいます。

同時に映像で見てさえ、絶対に次は舞台に足を運ぼうと思わせる映像の力はすごいです。舞台のもともと持つ力はもちろん、映像化したとき自体の美しさがなくてはできないことです。すばらしい映像化を体験した例も、もちろんたくさんあります。ゲキシネやシネマ歌舞伎、デスノートの映像化もとても楽しく嬉しかったです。今回の上映会もとても興奮しました。

正直個人的には夢中で見た舞台ほど映像化はほしいです。小さくなっても多くのものが映っていなくても手の中に納まる舞台がほしいです。しかし、それが今後の舞台をかえって妨害することになるのだったら、観客としてそんなものはなくていいです。
映像化がかならずしも演劇界の隆盛をになうものとは思えません。しかしご無理のない範囲でしていただけると嬉しいというふうに思っています。そこは希望を出しつつ制作者さま、企業さまのご判断におまかせしたいです。

舞台は生でみてほしいというこだわりを持つ方がいれば、それはすごく美しいです。感動させていただいた観客として、人間としても、作り手さんたちの側が持っておられる舞台への強い意志をなんであれ尊重したいと思います。他人のためではなく自分のためです。面白い舞台がこれからもたくさん見たいからです。

これからも楽しい舞台をみにいけますように!!

2018年11月23日、17時からKAAT神奈川芸術劇場でLost Memory Theatreコンサートがおこなわれます。楽しみです。

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